ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

天才バカボン

こんど自宅を改築することになり、掃除をしていたら懐かしい本が出てきました。

漫画「天才バカボン」の単行本です。

いまからおよそ半世紀前、うちは特別に教育熱心というわけでもなかったですが、普段あんまり漫画本を買ってもらうことはありませんでした。

ただし、漫画本を買ってもらえる特別な機会がありました。私は体が弱く、とくに耳やのどの医者によくかかっていました。風邪もよくひいていたと思います。

医者に受診する際は子どもですから母親が付き添ってくれます。医院の待合室は畳敷きで、みんなが正座して順番を待ちます。

子どもですから受診をおとなしく待つという行為が非常に苦痛でした。母親もさすがに間がもたないと思ったのでしょうか。こういう時に「漫画本を買って」とせがむと、近くの本屋に買いに行ってくれたのです。

読み出すと夢中になるから、それ以降はおとなしくしていたんだと思います。

そんな母親も80代になり、わたしが介護する立場になっています。人間は年をとるとだんだん子どもに戻っていくとよくいいますが、わたしの漫画を持ち出すまでもなく、子どもは好きなことに没頭していればおとなしいというか、間がもちます。

それに対して老人はもう関心のあることがなくなってしまうような気がします。体力や気力も関係しているのでしょうか、うちの母親もよく「もう何も考えられない」といった意味のことを口走ります。当然、本人にはなんの罪もないのでしょうけど、そばにいてなんだかちょっとやるせないです。

子どもが漫画に夢中になるのと同じような関心事を老人も持てるといいのかもしれません。

寝ているときの夢の話です。

寝ているときに見る夢はだいたいパターンが決まっていて、深層心理の投影か昔の体験のフラッシュバックかのどちらかです。

よくみる夢のひとつに、高いところに登ってしまい、難儀しながら降りるというのがあります。降りられなくて途中に目が覚め、「夢でよかった」と胸をなでおろす時もあります。

だいたい、とんでもない建物の上とかに登ってしまって、降りる手段がなく、手足を使ってなんとか降りるというパターンが多いです。

まあ、自分が高所恐怖症というのも影響しているのかもしれません。

こういった夢を見る原因は自分でもはっきりよくわかっています。幼稚園くらいのときの体験が大きいのです。

友達とお寺で遊んでいて、木造の門の上にのぼったのはいいが、大人の背丈以上の高さのところで降りられなくなってしまい、お寺の大人におろしてもらったことがあるんです。半世紀くらいたった今でもよくおぼえています。

そのときの体験が(わるい意味で)鮮烈だったんでしょうね。いいおっさんになってからも同じような夢を見続けているわけです。

大人になると、木登りとか、自分の手足を使って高いところにのぼることはまあほとんどないし、仮にのぼることになったとしても、降りられなさそうだったらそもそもトライしません。降りられると確信したときだけのぼるんだと思います。

これはけっこう他のことにも言えるんじゃないかと思います。大人になると後先を考えずに行動することはあんまりありません。結果がはっきりしていることのみについてだけトライするというか。そもそも結果がはっきりしているのなら、トライなのかどうかも疑わしいわけですが。

子どものころはそのあたりが無鉄砲というか無定見だったんでしょうね。逆にいうと「たまには無鉄砲なこともやってみろよ」と昔の自分が夢を通じて今の自分にささやきかけているのかもしれません。

年賀状

平成最後ということで今年限りで年賀状をやめる人も多いらしいですね。ネットで見ただけで、実際にそういう人はいるんだろうか、と思ってたら、正月に年賀状をいただいた中に1人いらっしゃいました。

お世話になった勤め先の先輩で、「古希を迎えたのを機に今後はご遠慮したい」とありました。

退職後、10年以上会ってません。その後、病気をされたと聞いていたので、ご本人としては終活的な意味合いで年賀状をやめられるのかもしれないと想像してます。

実はわたしも年賀状をやめたいと思ってはいるんですが、なかなか踏ん切りがつきません。

雑煮

今年もよろしくおねがいします。

うちの雑煮はもちを焼きません。出汁もみそではなく、しょうゆのすまし汁です。

もちは汁の熱で煮ていくので、時間がたつともちがとけていきます。とけでたもちで汁が多少、ねばり気をもつことになります。

この汁を最後まで有効活用できないかと考えてみました。

カレーうどんです。前にも紹介した、レトルトカレーを使った「なんちゃってカレーうどん」にしてみました。

汁はそばつゆやうどんだしなどで多少味をととのえます。きざんだ油揚げなどを入れ、あとはレトルトカレーをぶち込んで煮込むだけです。カレー粉もすこし入れると大人の味になります。

今朝さっそく作ってみたら子どもたちに好評でした。おいしかったらしく、サムズアップのサインも出ました。

とけたもちで汁にとろみがついているところもいいのかもしれませんね。またつくってみよう。

長縄跳び その2

前にこんなエントリを書きました。

長縄跳び - ぼちぼち そこそこ

それの続きです。

次男は市内大会に出場して入賞の一歩手前までいったらしいです。ただ、事前の練習時に友達から「跳ぶタイミングが遅い」などと言われたことがあとから判明し、なんとなく次男が長縄跳びを嫌がっていた理由がわかりました。

というようなことを妻と食卓で話していたら、思わぬ人物が話の輪に入ってきました。

長男です。

長男は「長縄跳びはよくない。失敗した個人が責められるから」と、私が前のエントリで書いたのとほぼ同様のことを言いました。実際には「クソ」とか汚い言葉を使ってましたが(笑)。

私は「団体競技という点では野球とかサッカーも同じだろう」と返しました。

長男は「野球とかはクラブでやりたいやつがやっているのだからそれはかまわない。長縄跳びはやりたくもない者もやらされるし、同じクラスだというだけで一緒にやりたくないメンバーともチームを組まなければいけない。それがよくない」と答えました。

ふだんあまり口数が多いほうでない長男がこれだけ話すのはよほどのことです。よほど小学校のときに長縄跳びに参加したことがモヤモヤしてたんだろうなと思いました。

私は、自分が長男とほぼ同意見だということや、モヤモヤを言葉にして外に出したのはよかったということを長男に告げました。

すこし子どもとコミュニケーションがとれた感じがしました。と同時に、けっこう皆が同じようなことを感じているんだなと思いました。

しもやけ

先日、靴下をはこうと思って右足を見たら、中指に赤い発疹ができていました。発疹をみつけて「おお、とうとうこの季節がやってきたか」と思わずにいられませんでした。

しもやけです。毎年、冬になると足の指やかかとなどあちらこちらにできて、とてもかゆいのです。

昨季はとくにひどかった。いつもは自家用車で通勤しているのですが、大雪のために数日、電車で通いました。駅と勤め先の間を雪の中、長靴で歩きます。これがこたえました。足の裏が真っ赤になって、それはかゆい。

でも春になってくると、かゆみもおさまり、発疹がかさぶたに変わります。暖かくなると、そのかさぶたがとれて、私の冬が終わるというわけです。

ビタミン不足とか原因はいろいろあるんでしょうが、根治することは不可能です。まあ、かゆい程度なので、がまんしましょう。

スーパーマーケット

近所のスーパーマーケットで買い物をしていてあることに気づきました。

その店はレジ側からみると、向かって左に青果や野菜、鮮魚、肉などの売り場があり、右側は総菜などです。レジからみて右側から買い回ることもできますが、入り口が左側に近いので、たいていの人は青果などから買い回ることになります。

別の資本のスーパーもだいたい同じ並びになっています。

別の地元スーパーは反対にレジからみて右が青果・野菜なのですが、このスーパーは売り場への入り口が決まっており、青果・野菜側からしか入れないようになっています。

各店とも明らかに青果・野菜から買い回るように売り場が構成されていると考えられます。

これは人間工学的になにか理由があるのでしょうか。

ちょっと考えてみましたが、客は新鮮な材料を求めてスーパーへ出向くわけで、多くが野菜や魚、肉などの一次産品をまず買い求めようとするのでしょう。目的の品を買うことで物欲が刺激され「ついでにこれも買っておこう」となって消費意欲を喚起するからではないでしょうか。

自分の行動からみた推測なので、なんとも言えませんが。