ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

カネの遣いみち

ネットを徘徊していて驚いた。今はこんなものもタダなのか。

昭和50年代の初め、中学生にとって1回100円というのは骨身にこたえた。熱くなって何度も挑戦していると、すぐに数百円が飛んでいった。子供がムダ遣いするといって社会問題化したようにも思う。

今は懐かしいインベーダーゲームである。これがネットで現在はタダなのだ。新聞記事もネットで読める。カネを払うのが当たり前と思っていたものが、どんどんタダで手に入ったり、利用できるようになった。

反対に昔はタダだったが、今は買う習慣が根付いたものも多い。水なんかそうじゃないか。

要するに、何にカネを使って、何にカネを使わないか、なかなか判断が難しい時代になってきたといえるだろう。

これまで人々は、どこで買えば安く手に入れることができるかといった情報の収集に関心を寄せてきた。ネット販売の隆盛などはその表れのひとつだろう。

もちろんモノを少しでも安く手に入れたいというのは、消費者の根本的な欲求だ。その性向が変わることはないだろうが、その中でちょっとした風が吹きはじめているといえるのではないか。

どんな対象にどれだけの額のカネをどういうふうに使っていけばいいのか。そう消費者自身が考えあぐねているような傾向はないかということだ。

おおげさに言えば個人の人生設計にも通じる問題だろう。まずは、カネを遣う対象を個人がどうやって見つけていくか。そして、複数の遣いみちに対してどういった支出パターンを設定していくか−なのだが、情報がありすぎて、絞りきれていないのが現状ではないか。

どうやってカネをもうけるかをサポートするビジネスはいくらでもあるが、個人がどうやってカネを遣っていくかに関して助言する仕組みはあんまり聞かない。団塊世代を対象に銀行あたりがやっていそうだが、倹約が美徳の日本の社会では大きな声で宣伝することでないのかもしれない。