ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

京都の作法?

京都市内で気になる張り紙をみつけました。
酒のディスカウントとドラッグ店が隣り合っていて、張り紙はドラッグ店のほうにありました。
「当店のお客様がお隣のディスカウントの駐車場を利用されるのは、ディスカウントの迷惑になるのでお控えください」
趣旨はだいたいこんな感じです。
でもみてみると、ドラッグのほうは駐車台数にけっこう余裕がある感じです。
反対にディスカウントのほうは、そんなにたくさんとめられません。その割には来店者が多い雰囲気で、事実、私がいったときも駐車するまでいくらか待たなければなりませんでした。
しばらくして張り紙の意味に気づきました。
張り紙は反対のことを言いたいのではないかと。ドラッグ店の駐車場にディスカウントの客が停めるケースが多く、それに迷惑しているドラッグ側があてこすり的に掲出したのではないか。
もちろんドラッグ店にたしかめたわけではないから、確証はありません。
だが、仮にわたしの推測があたっていたら、これはもう「京のぶぶ漬け」そのままなのではないかということです。
ぶぶ漬け、とはお茶漬けのことで、他の家を訪れて帰るときに、そこの家人から「お茶漬けでも食べていって」と勧められるが、それを真に受けて長居したら逆に「あつかましい」と陰でいわれる、というやつです。
京都人の他者への接しかたをあらわすエピソードとしてよく持ち出されます。この解釈に関してはいろいろ意見もあり、必ずしも否定的にとらえられているばかりでもないようです。
張り紙とぶぶ漬けに共通するのは、ひとことでいうと「婉曲」ということなんでしょう。京都人とかかわるようになって20数年。これまでこの婉曲をよく理解できずたぶん何度も痛い目にあってきたであろう田舎者のわたしとしては「またか」といった気がしないではありません。
というか、もしかしたら痛い目にあったと認識した回数の数倍、気づかないままウラで悪口を言われていたのかもしれません。20数年たってみて、張り紙を前に「ああこういうことなのかも」と思いめぐらせるようになっただけでもちょっとは成長したということなんでしょうか。