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判決は絶対です 大野病院事件

大野病院事件は控訴断念の方向となったようです。その場合、被告の医師の無罪が確定します。

福島県立大野病院で、帝王切開で出産した女性が死亡した事件で、業務上過失致死などの罪に問われた産婦人科医(40)を無罪とした福島地裁判決について福島地検は29日、控訴断念を決めた。

福島地検の村上満男次席検事の話 控訴しても裁判所の判断を覆すことは困難と判断した。逮捕、拘置したことは当時の判断として正当だったと思う。今回の裁判所の判断を受け、今後はより慎重かつ妥当に捜査したい。遺族に対しては、あらためて「お悔やみを申し上げます」と言うしかない。

佐々木賢・福島県警刑事総務課長の話 県警としては法と証拠に基づいて必要な捜査を行ったもので、(医師の)逮捕に間違いはない。医療行為をめぐる事件については今後も本判決を踏まえ、慎重かつ適切に捜査をしたい。地検の判断はコメントを差し控える。(産経新聞

これまで私は判決に対する評価を差し控えてきました。だが、こういう結果を受け止めるに至ったとき、警察なり検察の判断に無理があったと考えざるをえません。

今回の裁判では警察、検察とともにマスコミの報道姿勢が批判にさらされました。ブログの中には「無罪判決を受けて、手のひらを返すように警察・検察をバッシングすれば、ますますマスメディアは信頼を失う」などとした意見もあるようです。しかし、無罪だから、手のひらを返す、というのは、ちょっとどうかなと思わないではありません。やむをえない部分もあるのではないかと。誤解をおそれずにいえば、今回の事件に限らず「裁判報道って、そんなもんなんじゃないか」ということです。

裁判は民事であれ刑事であれ、両方の当事者がいて成立します。行政訴訟など行政対住民の構図になったとき、住民寄りに報道する場合が多分にあるかと思いますが、基本的にはマスコミは中立を保って報道します。第三者からみてそれがいちばん公平にみえるからです。

今回の裁判では、逮捕、起訴に対して被告の仲間内である医療界から大きな反発が出ました。医療界の運動の結果かどうかは別にして、結果として無罪判決が出ました。医療界の声が正しかったことが証明された形となり、医療界と立場が必ずしも同一でなかったマスコミは批判を受けました。

裁判は世の中の争いごとにシロクロをつける最も権威ある仕組みです。基本的には絶対であり、判決に従うのは社会のお約束です。だから判決を受けて、医療界は「われわれは正しかった」と声をあげることができるのです。

これはマスコミも同じです。判決までは中立を保ちますが、結果が出たらそれに従ってニュースを伝えることになります。そうすることがいちばん消費者(読者、視聴者)の信頼をえやすいのです。

これがたとえば一方的に被告に肩入れして医療界の代弁をするばかりだとしたら、消費者に信頼してニュースを受け止めてもらえるでしょうか。中立性、客観性が消費者の信頼をえている源だということです。

たしかに一般的に中立性を装いながらどちらかに肩入れしているようなケースもあるかもしれません。そういった面を目の肥えた消費者に見破られて批判を受けるかもしれません。

今回の事件についていえば、裁判報道としてみた場合、そんなに奇異な感じはしませんでした。前述したような裁判報道の枠に照らしていえば、手のひらを返すようだか否かは別にして、マスコミからみた場合、いたしかたないのではと推測します。

もっとも以下のようなことは指摘できると思います。ひとつは、見せかけの中立性、客観性にとらわれて思考停止するようなことがあってならないということです。また、今回は刑事裁判だったのであり、逮捕という公権力の行使についてマスコミは警察、検察をチェックすべきだったと思います。

ご遺族の心中をお察しするとともに、無罪になられた医師が現場に復帰されるといいなと思います。

これまでのエントリーもよければごらんください。

大野病院事件のふしぎ大野病院事件の裏にひそむもの