ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

「けったくそ」だけでは ミシュラン調査

京都=文化、みたいなところで記事になってますが。

東京版ガイドの発売で大きな話題を呼んだ「ミシュラン」が、日本料理の老舗(しにせ)や名店が集まる京都でひそかに調査を進めている。しかし、古都が培った食文化を「世界標準」で評価されることに抵抗感が強く、ガイドへの掲載申し入れに「拒否」「保留」と答える店が続出。「ミシュランは『一見さんお断り』の文化にそぐわない」との声も上がっている。
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ミシュランガイドに関する著書もある料理評論家山本益博さんは「東京版では和食の三ツ星は3店だったが、京都なら15店はいくだろう」と見る。しかし、料理研究家の服部幸應さんは「ミシュランが掲載したい店の写真がそろわなければ、京都版は出せないだろう」と予想したうえで、「世界のグルメが和食を食べに日本に来る国際化の時代。観光都市・京都の名店がミシュランの評価をボイコットするなら残念な話だ」と語る。
一方、京都出身のジャーナリスト有田芳生さんは「ミシュランの評価を受け入れない姿勢こそ、京都らしい対応ではないか」と話し、「京都に多い『一見さんお断り』の店は誰でも入れないのが魅力。かつて首相の来店希望を断った店もあり、各店にポリシーがある。同じ基準で評価するミシュランとは相いれない文化だ」と指摘する。

京料理「星お断り」 ミシュラン掲載に拒否や保留相次ぐ(朝日新聞)

記事には「古都が培った食文化を「世界標準」で評価されることに抵抗感が強く」とありますが、結局のところは「ミシュランがなんぼのもんじゃい」という感情論なのではないか。関西弁でいうところの「けったくそが悪い」ということなのではないかと思います。「京都=文化」というより、「京都=プライド」のほうが記事をすっと読める感じがします。

ようするにこの問題を端的にいうと「文化」「プライド」VS「国際化」「商売」―といった構図ではないかと思います。

ただ問題はそう単純ではありません。有田氏がいう『一見さんお断り』は単に文化の問題だけではありません。一見さんを断ったほうが店のブランド力を高められる側面もあります。商売の問題でもあるということです。

しかしそれでは新規顧客の開拓はなかなかできないわけで、最近は『一見さんお断り』の代表格であるお茶屋遊びなどでも業者を介在させる形で観光客を無差別に受け入れている例もあるように思います。まったくクローズドにするより状況に応じて「チラ見せ」も必要なのではないかということです。

そう考えたときに、文化だけでなく商売の面からみて、京都として価値を最大限にするにはどうするべきかといった視点が必要になってくるはずです。最大限にする方法は従来なら『一見さんお断り』だけでよかったのですが、お茶屋の例をみてもわかるとおり、それ一辺倒では苦しくなってきている。他の方法も模索せざるをえないということだと思います。

べつに民間企業である京都の料亭がミシュラン調査にどういう感情を抱こうが基本的にそれは各店の自由です。しかし、それだけでいいのでしょうか。けったくそだけでなく、経済面も含めて京都全体の価値をいかに高めていくかという視点をもって対処することが必要だと思います。

今回のケースでミシュランの調査にどういう対応をとるのがいいのか私は回答を持ち合わせていません。ただ、ひとついえるのは、各店がばらばらに対応するのでなく、京都全体として各店が一致して戦略的に行動していくべきだということです。感情論はわかりやすいし、たぶん市民の賛同もえやすいでしょうが、冷静に損得を考えて皆で動くことが大事だと思います。