ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

想像ですが 人徳のノーベル賞

ノーベル物理学賞に日本人3氏が輝きました。京都にゆかりがある方たちということで喜ばしいかぎりです。
理系音痴の私としては3氏の業績は詳しくはわかりません。ただ、各紙を読んでいくと3氏の関係性がなんとなく浮かび上がってくるような気がします。
記事を読むと、3氏で年長の南部陽一郎氏の業績がベースとしてあって、その上に益川敏英小林誠両氏の共同理論が生まれたことがわかります。
まず気になったのは南部氏のコメントです。小林、益川両氏の研究を「(自分と)性質が少し違う」(8日の京都新聞朝刊)と言っていることです。また、佐藤文隆京大名誉教授はコメントで南部氏の受賞について「遅すぎるぐらい」と言っています。
そうすると次のようなことが言えないでしょうか。今回3氏が受賞したわけですが、本来なら南部氏が先行して受賞し、年をあらためて益川、小林両氏が受賞してもよかったわけです。それが南部氏はなぜかこれまで受賞しなかった。
その理由については8日の日経朝刊にヒントがあるような気がします。元日本物理学会長の坂東昌子氏によると、南部氏は「我が強い人が多い素粒子界では珍しいほど謙虚な人」なんだそうです。この奥ゆかしさがもしかしたらこれまで受賞を遠ざけていた要因のひとつなのではないかと思えてきます。
これは本当に推測ですが、南部氏がこれまで受賞できなかったことを考えるともうあまりチャンスは多くなかったのではないかという気がします。それが、両氏の業績のベースにあたることから、益川、小林両氏の受賞もあって栄誉に輝いたのではないかということです。
益川氏は受賞の記者会見で「南部先生が(賞を)取っていただいたことが一番うれしい」(8日の日経朝刊)と語っています。「取っていただいた」との言い方は、側面支援したとのニュアンスがあるようにも感じられますが、違うでしょうか。
また、7日の受賞会見では「大してうれしくない」などと言っていた益川氏ですが、8日の会見では南部氏のことについて記者から問われると涙をにじませ、その様子が各紙の夕刊を飾っていました。なんだか日本の物理学界あげてなんとか南部氏に受賞させようとして、ようやくその悲願が達成された観があります。
南部氏の業績をおとしめるつもりはまったくありませんし、ノーベル賞委員会がそんな理由で南部氏を選定したわけもないでしょうが、受賞理由のいくらかはもしかしたらこうやって後輩から慕われている南部氏の人徳にあるのかもしれません。こういった3氏の人間関係を想像してみると私もなんだか胸がじーんとなりました。
ところで。京都新聞朝刊にある益川氏のコメント「ノーベル賞の出し方には規則性があって、科学者としてノーベル委員会の動きをウオッチしていると、どういう具合に賞を出すかがわかる。昨年までは絶対受賞はないと思っていたが、今年はある程度は予測していた」というのはどういう意味なのでしょうか。詳しく知りたいところです。そのあたりをにおわせる記事が8日の産経夕刊に載っていましたが(ネットで調べたが出ておらず)、その辺のところでしょうか。