ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

親父と切手

本日、遅ればせながら国際文通週間の切手を買いました。国際文通週間といえば、小さいころからあこがれの切手です。
小学生のころから切手を集めていました。いました、というのは、途中から集めなくなったからです。
月日は経って、私は中年になりました。私には父親がいました。私の父親は老人ということになります。
ある日、実家で父親の書類を整理していました。すると、記念切手のシートが大量に出てきました。
父親が買っていたらしいです。私は父親に言いました。「こんなたくさん買っても仕方ないだろ」。父親は何も答えませんでした。
その時、父親はがんでした。まもなく亡くなりました。
そして、父親が亡くなって数カ月が経ちました。ある日、私は父親の遺品を整理していました。私は書類の中からまたもや大量の切手シートを見つけました。
なんで父親はこんなに大量の切手を買って残していたのか。
私ははっとしました。私が父親に言ったことばを思い出しました。
私は大学進学と同時に実家を出ました。そのとき、父親にこう言ったような気がします。自分は今後なかなか切手を買うヒマがないから、気がついたら記念切手を買っておいてほしい、と。
言った本人が忘れていたのにもかかわらず、父親は息子の希望を聞いて切手を買い続けました。息子が中年になって「なんで買っていたのか」と詰問しても、「お前が頼んだからだ」とも言わずに、ただ黙っていました。
そんな父親の思いに息子が気づいたときに、すでに父親はこの世にいませんでした。なんであんなこと言っちゃったんだろう。
買ったばかりの美しい国際文通週間の切手を眺めてみます。東海道五十三次です。父親のことを思い出してちょっと泣けました。