ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

「情報エンゲル係数」について考えてみました

エンゲル係数とは家計に占める食費の割合の話だったと思います。それの情報版の話をします。
昔は新聞、雑誌やテレビぐらいだったのが、インターネットとか有料衛星テレビとか携帯電話だとか、とにかくいろいろ出てきました。
たとえば電車の中でネットができたりとか便利なことは便利なのですが、とうぜんタダというわけにはいきません。こういうふうに、ある情報を得るために便利さを追い求めていくと出費も際限ないじゃないかという話になってきます。家計に占める情報・通信関連の出費がとんでもないということになってきます。
私自身についていえば、こういう状況はいかんとおもって最近あるていど整理しました。
ネットのプロバイダはニフティともうひとつ入っていました。正確にいうと、ニフティパソコン通信時代に入っていたのですが、その後、プロバイダをはじめたということです。ですので、ニフティをメーンのプロバイダとすることにして、もうひとつはやめました。
某有料衛星テレビもやめました。映画とか見られてよかったのですが、忙しくて見る時間がなくなってきたので、費用対効果を考えてやめました。
その他、携帯のiモードは極力つかわないようにするなど節約に努めています。
ネット上のサービスも基本的にタダのものしか使ってません。
iPadもそのあたりの視点から考えています。便利だけど、どれだけ利用するのかな、と。自分の中で費用対効果を考えていけるとおもったら買おうかなと思っています。
まあ、いまの若い人だと、新聞を購読しないだとか、NHKの受信料を拒否するだとかの話になっていくんだろうな、とおもいます。
もうひとつは費用ではなく、時間の観点からです。
ネットはみていて面白いのはあたりまえです。自分の興味がある事柄を検索すれば、いくらでもページが出てくるのですから。
しかし、それでは際限がないじゃないですか。どっかでふんぎりをつけないといけないと私自身は考えています。もちろん際限なくネットをやりたいという人はどれだけでもやったらいいとおもいます。
それと無線などでどこでもつながるというのもよしあしなんじゃないか。たえずアイホーンをいじってツイッターをやってるというのもネットに支配されているような感じもするんですが。
1か月の給料の額が決まっていて、そのなかからどれだけ情報通信に費用を出すかというのと同じく、時間も1日24時間しかないわけですから、そのなかでネットなどに使う時間はおのずと限られてくるというか、ある程度限ったほうがいいんじゃないかというふうに感じてます。というか、意識しないとダラダラをネットを見ちゃうから、意識的に遮断する時間、期間を作ったほうがいいぐらいなのではないかとおもっています。
時間についても、若い人が新聞を購読しないのと同じく、地上波テレビはつまんないから見ない、時間のムダだ、というような事態が進んでいるのではないかと思います。
たとえるなら、昔はリンゴとミカンぐらいしかなかったからどっちを食べるかみたいな話だったのが、今はマンゴーもバナナもあって、かといっていっぺんになんでもかんでも食べられるわけじゃないから厳選しなくてはならない。人間からみたらたくさん食べるとお腹をこわすからある程度チョイスしないといけないし、果物のほうからすると種類によってはあまり食べられなくなってすたれていく果物もでてくるんっだろうな、ってなことだと思います。
(参考)同じようなことをすでに考えている人がいました。