ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

10年でも困難 京都市営地下鉄再建計画

ひさしぶりに京都市営地下鉄のお話です。
本日の京都新聞に以下のような記事が載っています。
(以下引用)
赤字のために「健全化団体」に転落した全国の交通公営企業10社の中で、京都市営地下鉄が再建までにかかる期間として示した「10年」が最も長いことが、総務省の調べで分かった。同省は「原則4年以内」としており、市に計画の前倒し達成を求めていく方針だ。
・・・
市交通局は「10年でも困難だという意見もある。4年で達成しようとすれば市財政はパンクし、運賃も非現実的な値上げが必要」と現場の実情を説明している。
(引用終わり)
世の中にはいろんな意見があります。甘い見方、厳しい見方といろいろありましょう。
その中で、記事のコメントにあるように「10年でも(再建は)困難」という意見があるということをあえて交通局自身が持ち出してきた意味というのはいったいどう考えたらいいのでしょう。
たとえばこんな例はどうでしょう。
大学に合格したいと思って頑張って受験勉強している高校生が「僕が大学に合格できないという意見もある」と言うでしょうか。
生徒自身、そんなことをいっていてそれではたして気持ち的に頑張れるのでしょうか。
そして、周りで応援している先生や両親はそれを聞いてどう感じるでしょうか。「こいつ本当に大学に合格するつもりがあるのか」と思うのではないでしょうか。
ふつうはそんなこと言わないですよね。
だから「意見もある」などとさも客観性を装っているものの、要するに「10年でも困難」というのは交通局自身の意見だということなんじゃないでしょうか。
10年というのは、自分たちで作って国に提出した再建計画に盛り込まれている数字です。自分たちで決めたことを「10年でも困難だという意見もある」としれっと否定しちゃう神経がよく理解できません。
じゃあ、10年では困難なのなら、何年だったら再建できるのでしょうか。それを改めて市民に言ってほしいです。
というか、そもそも本気で再建する意思はあるのでしょうか。本心では「どうせ無理無理」とか思ってるんじゃないでしょうね。
総務省の原則4年というのが理不尽だといいたいのはわかるけど、勢い余って自分たちで決めた10年という期間を「困難」だとかいっちゃったらダメでしょう。
もしかしてうっかりぽろっと本音がのぞいてしまったということでしょうか。
コメントって難しいですね。