ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

母親とおば

老人施設に入っているおばのご機嫌うかがいに、同居している母親と行ってきました。

おばは母親の姉で、今年で90歳になります。体もだいぶ弱っているし、いわゆる認知症がだいぶきています。50代の私に「学校はどうだ」「何歳になった」と何度もおなじことを尋ねます。私は「認知症だから仕方ない」と思って辛抱強く同じ事を返答するわけです。

しかし80代前半の母親は違います。「ねえちゃんの言ってることはぜんぜん分からない」などと正直に言います。「認知症だから仕方ない」などという諦観はありません。

これは、私の母親が、おばと自分をあくまで同等、対等だと考えているからではないか、と思いました。私なんかはおばのことをある種、「しょうがねえなあ」とか思ってしまうのですが、母親には認知症を斟酌する態度はないのでしょう。

それと、家では「しんどい」などととにかく愚痴を言ったり、認知症的な言動が多い母親ですが、おばのところに行くとなぜかしゃきっとします。おそらく「姉は認知症だが、私はここまでひどくない」と自分を認識したいからではないかと思います。

この2つの現象は一見、反対のことのようにも見えるし、根っこは同じような気もします。考えてもよくわかりませんが。

ひとつ言えるのは母親もおばの状態にだんだん近づいているということかなと考えています。