固定資産税
自宅周辺を含めて先祖伝来の土地が多少あります。
田舎は田舎なんですが、いちおう市街化区域にかかっているため、固定資産税や都市計画税がそれなりにかかります。
土地は立派な資産です。一昔前なら土地を持っていれば「資産家」と呼ばれました。右肩上がりの時代なら将来の値上がりを見越すことも意味があったでしょう。
でも今後は人口減少の時代です。土地は増えたり減ったりしませんが、人口が減るということは、土地を必要とする人間が減るということを意味するわけで、土地の需要が今後減っていくことは明らかです。当然、地価は下落していくでしょう。
ということは、これから土地を保有していくというのはかなりリスキーなことなのではないかと考えます。有効利用できて税金を上回る利益が見込めるのならいいですが、今後、地価が下がっていくどころか、売りたいと思ったときにはもう需要がなくなって、売れないという事態にならないともかぎりません。
当然、国内の不動産業は厳しくなっていくでしょう。
「土地持ち」というと資産家の代名詞みたいな響きも一時はありましたが、今後は土地持ち貧乏てなことになりかねないのでは。
戦後の農地解放は半ば強制的に政策として行われました。それから70数年、放っておいても解放が進むといった事態になりかねなくなってきました。
これからすこし脱線します。
土地の次は金融資産も保有税がかかるようになるのではないでしょうか。現在でも金利には課税されますが、一歩進めてお金も土地と同じように持ってるだけで税金がかかるようになるのではないかと思います。
グーグル先生初体験
グーグルドキュメントの音声入力を初めて本格的に使ってみました。
詳細については「グーグルドキュメント 音声入力」とか「グーグルドキュメント テープ起こし」などでぐぐってみてください。
インタビューの音源を聞きながら聞いたことをパソコンに話していくとグーグルドキュメントが文字起こしをしてくれます。
いやあ、すごい時代になったなと。使ってみて気づいたことを備忘録として書いておきます。
1 聞いたことをそのまま文字起こしするのは非効率。
インタビューだと相手は考えながら話します。その話し言葉をそのまま文字起こししても文章としてつながりが悪かったり、重複が多かったりします。なので、聞いたことをある程度、頭の中で整った文章に直して吹き込んだほうが効率的なのではないでしょうか。
2 その場で直す。
文字起こしの精度はかなりのものですが、やっぱりそこは機械がやることなので限界があります。間違いも出てきます。もしかしたら吹き込む側の滑舌の悪さも影響しているのかもしれませんが。そういったときはレコーダーを止めて、その場で文章を修正していったほうがいいです。再生をとめるのは一見めんどうなことのように思えますが、あとあとのことを考えるとそのほうが効率的だと思います。
3 文章を区切る。
あたりまえですが、起こした文章に句読点はつきません。なので、自分で付ける必要があります。改行でもいいし、ブランクでもいいけど、文章と文章の間の区切りがはっきりしているほうが分かりやすいですよね。
要するに、他人が見てわかるような完全な文章に仕上げる必要はないとしても、自分があとで見返してみて最低限誤解が生じないようにしておいたほうが便利だということです。
今後、グーグル先生の精度も上がっていくでしょうし、これは便利なものができたな、との印象です。
天才バカボン
こんど自宅を改築することになり、掃除をしていたら懐かしい本が出てきました。
漫画「天才バカボン」の単行本です。
いまからおよそ半世紀前、うちは特別に教育熱心というわけでもなかったですが、普段あんまり漫画本を買ってもらうことはありませんでした。
ただし、漫画本を買ってもらえる特別な機会がありました。私は体が弱く、とくに耳やのどの医者によくかかっていました。風邪もよくひいていたと思います。
医者に受診する際は子どもですから母親が付き添ってくれます。医院の待合室は畳敷きで、みんなが正座して順番を待ちます。
子どもですから受診をおとなしく待つという行為が非常に苦痛でした。母親もさすがに間がもたないと思ったのでしょうか。こういう時に「漫画本を買って」とせがむと、近くの本屋に買いに行ってくれたのです。
読み出すと夢中になるから、それ以降はおとなしくしていたんだと思います。
そんな母親も80代になり、わたしが介護する立場になっています。人間は年をとるとだんだん子どもに戻っていくとよくいいますが、わたしの漫画を持ち出すまでもなく、子どもは好きなことに没頭していればおとなしいというか、間がもちます。
それに対して老人はもう関心のあることがなくなってしまうような気がします。体力や気力も関係しているのでしょうか、うちの母親もよく「もう何も考えられない」といった意味のことを口走ります。当然、本人にはなんの罪もないのでしょうけど、そばにいてなんだかちょっとやるせないです。
子どもが漫画に夢中になるのと同じような関心事を老人も持てるといいのかもしれません。
夢
寝ているときの夢の話です。
寝ているときに見る夢はだいたいパターンが決まっていて、深層心理の投影か昔の体験のフラッシュバックかのどちらかです。
よくみる夢のひとつに、高いところに登ってしまい、難儀しながら降りるというのがあります。降りられなくて途中に目が覚め、「夢でよかった」と胸をなでおろす時もあります。
だいたい、とんでもない建物の上とかに登ってしまって、降りる手段がなく、手足を使ってなんとか降りるというパターンが多いです。
まあ、自分が高所恐怖症というのも影響しているのかもしれません。
こういった夢を見る原因は自分でもはっきりよくわかっています。幼稚園くらいのときの体験が大きいのです。
友達とお寺で遊んでいて、木造の門の上にのぼったのはいいが、大人の背丈以上の高さのところで降りられなくなってしまい、お寺の大人におろしてもらったことがあるんです。半世紀くらいたった今でもよくおぼえています。
そのときの体験が(わるい意味で)鮮烈だったんでしょうね。いいおっさんになってからも同じような夢を見続けているわけです。
大人になると、木登りとか、自分の手足を使って高いところにのぼることはまあほとんどないし、仮にのぼることになったとしても、降りられなさそうだったらそもそもトライしません。降りられると確信したときだけのぼるんだと思います。
これはけっこう他のことにも言えるんじゃないかと思います。大人になると後先を考えずに行動することはあんまりありません。結果がはっきりしていることのみについてだけトライするというか。そもそも結果がはっきりしているのなら、トライなのかどうかも疑わしいわけですが。
子どものころはそのあたりが無鉄砲というか無定見だったんでしょうね。逆にいうと「たまには無鉄砲なこともやってみろよ」と昔の自分が夢を通じて今の自分にささやきかけているのかもしれません。
年賀状
平成最後ということで今年限りで年賀状をやめる人も多いらしいですね。ネットで見ただけで、実際にそういう人はいるんだろうか、と思ってたら、正月に年賀状をいただいた中に1人いらっしゃいました。
お世話になった勤め先の先輩で、「古希を迎えたのを機に今後はご遠慮したい」とありました。
退職後、10年以上会ってません。その後、病気をされたと聞いていたので、ご本人としては終活的な意味合いで年賀状をやめられるのかもしれないと想像してます。
実はわたしも年賀状をやめたいと思ってはいるんですが、なかなか踏ん切りがつきません。
雑煮
今年もよろしくおねがいします。
うちの雑煮はもちを焼きません。出汁もみそではなく、しょうゆのすまし汁です。
もちは汁の熱で煮ていくので、時間がたつともちがとけていきます。とけでたもちで汁が多少、ねばり気をもつことになります。
この汁を最後まで有効活用できないかと考えてみました。
カレーうどんです。前にも紹介した、レトルトカレーを使った「なんちゃってカレーうどん」にしてみました。
汁はそばつゆやうどんだしなどで多少味をととのえます。きざんだ油揚げなどを入れ、あとはレトルトカレーをぶち込んで煮込むだけです。カレー粉もすこし入れると大人の味になります。
今朝さっそく作ってみたら子どもたちに好評でした。おいしかったらしく、サムズアップのサインも出ました。
とけたもちで汁にとろみがついているところもいいのかもしれませんね。またつくってみよう。
長縄跳び その2
前にこんなエントリを書きました。
それの続きです。
次男は市内大会に出場して入賞の一歩手前までいったらしいです。ただ、事前の練習時に友達から「跳ぶタイミングが遅い」などと言われたことがあとから判明し、なんとなく次男が長縄跳びを嫌がっていた理由がわかりました。
というようなことを妻と食卓で話していたら、思わぬ人物が話の輪に入ってきました。
長男です。
長男は「長縄跳びはよくない。失敗した個人が責められるから」と、私が前のエントリで書いたのとほぼ同様のことを言いました。実際には「クソ」とか汚い言葉を使ってましたが(笑)。
私は「団体競技という点では野球とかサッカーも同じだろう」と返しました。
長男は「野球とかはクラブでやりたいやつがやっているのだからそれはかまわない。長縄跳びはやりたくもない者もやらされるし、同じクラスだというだけで一緒にやりたくないメンバーともチームを組まなければいけない。それがよくない」と答えました。
ふだんあまり口数が多いほうでない長男がこれだけ話すのはよほどのことです。よほど小学校のときに長縄跳びに参加したことがモヤモヤしてたんだろうなと思いました。
私は、自分が長男とほぼ同意見だということや、モヤモヤを言葉にして外に出したのはよかったということを長男に告げました。
すこし子どもとコミュニケーションがとれた感じがしました。と同時に、けっこう皆が同じようなことを感じているんだなと思いました。