ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

長縄跳び

小6の次男が浮かぬ表情をしています。こんどある長縄跳びの大会がいやなんだそうです。

クラスで1人ずつ順番に跳んでいき、跳んだ回数を競うやつです。校内で勝ち抜くと市内大会に出場でき、体育の時間に練習を続けているとのことです。

たしかに全員でやっていい成績がでれば達成感はあるでしょう。クラスで一体感も生まれるだろうし、ある種の教育的効果が見込めるのはわかります。

でも人間がやることだから、誰かは失敗します。クラスの記録はその失敗で止まります。失敗者は責めを受けることになります。

そんなことはわかりきっているので、学校側も「失敗者を責めるのはやめよう」と事前に指導しているらしいです。

しかし、学校側の思惑通りに事が運ぶとはとうてい思えません。失敗した子どもは心に傷を負うことにならないでしょうか。

まあ団体スポーツはみな同じ構造を抱えていると言えます。ただ、その中で、いちばんわかりやすい形で失敗者を生み出す競技が長縄跳びだといえないでしょうか。

たとえば100チームが参加した大会だとするなら、優勝した以外の99チームで1人ずつ、私が指摘したような心の傷を負う子どもが出てしまう競技が長縄跳びだといえないでしょうか。

教育的効果もあるだろうけど、負の側面も持つ競技です。手軽で取り組みやすいからやっているのでしょうが、非常にもやもやします。

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■追加

聞いてみると、時間内で何回跳べるかを競うのであって、引っかかったらそこでおしまいということでもないようです。