ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

卒業試験

この季節になると、決まって同じような夢を見てうなされます。

今から30年以上前のことです。大学4年のわたしは卒業を前に最後の試験に臨んでいました。

科目は英語だったのですが、試験を終えて「これはあかん」と思いました。就職も決まっていました。この英語を落として留年すれば就職もおじゃんになるでしょう。

わたしは意を決して教授の研究室のドアをたたきました。そして「追加のレポートでもなんでも出しますからなんとかしてください」と教授に頭を下げました。

われながら虫のいい話です。わたしみたいな学生は毎年、何人かいると見えて、教授からは「まあまあ」みたいな感じで軽くいなされました。必ずなんとかなるという言質は当然ながら得られませんでしたが、一方で、なんとなく暗黙の了解みたいなものが2人のあいだにあるなあ、との感触も持ちました。

そして、試験結果の発表日。わたしは卒業旅行に出ていて、日本にいた同級生に大学へ結果を見に行ってもらいました。今と違って携帯などないので、同級生が自宅にいる母親にその結果を伝え、わたしが同級生の自宅に国際電話をかけて母親から結果を聞くということになりました。

いまから考えると同級生もそんなややこしい役目をよく引き受けてくれたなあと思うのですが、同級生のお母さんに電話したところ、暗黙の了解通りなんとか卒業できることがわかったわけです。

このひやひや感が後を引いているのでしょう。今でも毎年のように「卒業できないかも」という恐ろしい夢を見続けているわけです。

ちなみに大学受験や入社試験の夢はほとんど見ません。いつも出てくるのは卒業試験のことばかりです。それだけ自分にとって大きな体験だったということなんでしょうね。

タイヤ交換

わたしが住んでいるところはそれなりに積雪があるので、冬はスノータイヤを装着します。自宅には車が2台あります。タイヤ交換はだいたい1回2千円くらいするので、1シーズンにタイヤ交換で約8千円かかります。

この出費はばかにならないということで、きのう油圧ジャッキを買いました。4千円弱です。さっそくジャッキを使ってノーマルタイヤに交換しました。

けっこう手間がかかるし、衣服も汚れます。でも、交換を終えたらなんか冬が終わったような気分になりました。

これからもどんどん活用したいとおもいます。

ラーメンなべ

わたしのオリジナルというわけでもないですが、インスタント袋麺をつかってなべものをしてみました。

日清ラ王のちゃんぽんを2袋使いました。

お湯をわかして麺をゆでます。ほぐれたらゆできらないうちにあげます。ゆで汁にスープと酒を入れ、野菜や肉、豆腐などお好みの具を入れます。

ちょっと味がうすいと子どもから苦情が出たので、中華調味料(ウェイパーなど)を足しました。

途中で麺を入れます。煮詰まってきたら酒やお湯を足します。

最後は野菜や肉からいいだしが出て、スープがいい感じになりました。雑炊をつくりました。

即席麺2袋で実売130円くらいですから、市販のなべスープより割安ですよ。みそラーメンやトンコツで試してもいいかもしれません。

なべは野菜がたくさん食べられるからいいですね。そろそろシーズン終盤かな。

弁当男子

まあそんないいもんじゃないですが。

自分で毎日、弁当をつめてます。

おかずは前夜の残りです。ちなみに本日はポテトサラダ、サツマイモのてんぷら、白菜の漬け物です。それだけです。野菜ばっかりでヘルシーではありますが。

子どもが弁当持ちだったころはついでに妻がつくってくれたこともありましたが、今は給食なので、自分でつめているわけです。

マグカップにお湯をそそいでチキンラーメンの小さいやつもつくります。

わびしい。ただし、外食に比べたらお金はかかりません。そういう男性も世に多いんではないかと察します。昼、たまに外食するのが楽しみです。

ストレスチェック

なんか法律で義務化されたとかで、先日、勤め先でやりました。

記入していてなんかいやーな気持ちになりました。

ふだんなら忙しくてあんまり気にしないことでも、記入するためにあらためて見つめ直してみると、いろいろあるなあ、と思いつきます。気付かなくてもいいことに気付いてしまうというか。

記入しているうちになんか陰鬱な気持ちになりました。自分の精神状態があんまりよくないこともわかりました。

チェックに記入してかえって精神状態が悪くなってしまう人も多いんじゃないかという気がします。なんらかの役に立っていたらいいんですけどね。

地域デビュー

定年後の男性が近所に顔を出して活動することを「地域デビュー」と言うんだそうです。

わたしの地域デビューは定年後ではなく、在職時にやってきました。転勤族でしたが、数年前に実家に家族で戻り、母親と同居することになったのがデビューです。

大学に入って実家を離れたので30年ぶりくらいで実家に住むことになったわけです。

デビューの第一弾は自治会です。生まれ育ったまちなので、近所には顔なじみが多いのですが、ちょっと離れたところの人は顔も名前もわかりません。いまでもそうですけど。自治会では、夏祭りとかイベントがあるのでその準備委員などもやりました。

次は子ども会です。やはり、夏に魚とり大会などがあります。町内は新興住宅地も増えており、顔を知らない人と準備をします。

寺の檀家(だんか)の寄り合いと、農地を持っている関係で農業組合もあります。

都市化してきたとはいえ、地縁血縁の濃い田舎まちなので、子ども会以外は、正月に一杯飲みの新年会がいまだにあります。

地縁血縁というのはうっとうしいところもあるけれど、いいところもあるなあ、というのが実感です。もともと生まれ育ったまちなので、そんなに抵抗がないのもあるのでしょうね。

秘密基地

物騒なタイトルですが、中身は違います。

昭和40年前後生まれのわたしが小さい頃は自宅の周辺に竹やぶがたくさんありました。いまは造成されて家が建ってますけど。

竹やぶは遊び場でもありました。なにをして遊んだかというと、秘密基地を作ったりしました。

まあそのへんに落ちている木の枝や竹を組んで屋根らしきものを作るわけです。使いふるしのトタンなどがあれば上にのせたりします。雨露がしのげれば立派な基地になります。

この遊びのいいところは何人かでいっしょにやるところです。基地のありかはメンバーだけの内緒です。こういう共犯関係も友達との結びつきをつよくします。

ばあいによっては上下の学年と複数であそぶこともありました。秘密基地はこどもが社会性を身につける場でもあったのです。

携帯できるゲーム全盛の時代、秘密基地にはもうお目にかかれないかもしれません。