ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

市長さん

他の地域の人は奇異に感じるかもしれませんが、京都では「市長さん」「知事さん」などと公職者をさん付けで呼ぶならわしがあります。とくに年配者にそういう言い方をする人が多いようです。年配者が言うとすれば「市長はん」でしょうか。この「さん付け」は、京都人のメンタリティーをよくあらわしている事象のように思います。
ひとつは、とにかくていねいに言おうとする結果でしょう。とくに公の席のあいさつで多いような気がします。ただ、これは、相手を敬うあまりに出る表現というよりは、「さん」を付けて言っておかないと、自分が無礼な人間だと周囲からみられるおそれがあるという思考から出ているように思います。儀礼を重視する公家文化の影響ということなんでしょうか。
もうひとつは、「舞妓さん」と同じようなものでしょうか。いくらか親しみを込めて呼んでいるようなふしも見受けられます。
どちらにしても、強大な権力者、為政者ととらえて畏怖、尊敬の念を抱いている結果がさん付けにつながっているという感覚は市民にほとんどないような気がします。
以前のエントリでも書きましたが、京都の人は本当の権力のありかがどこにあるのかよく知っていて(では、どこにあるのかに関しては、ひとまずおいておきます)、少なくともこういった為政者が本当の権力者ではないとよくわかっているのではないでしょうか。裏返して言えば、有権者として、あんまり期待を寄せていない存在ととらえているような気すらします。
舞妓さんの例でもわかるとおり、京都の人は、首長を軽い存在としてとらえているような感じがします。そういった面も含めての逆説的な「さん付け」なのではないでしょうか。
まあ、自治精神のあらわれと受け止められなくもありませんので、否定的な面ばかりでもないでしょう。そのほうがもしかしたら健全なのかもしれません。