ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

大野病院事件のふしぎ

前に大野病院事件について以下のように書きました。
大野病院事件の裏にひそむもの
判決が確定しておらず、私はそもそも詳しいことはわからないので判決に対する評価は控えますが、裁判を報じるニュースやネット情報をみていてひとつ不思議におもったことがありました。
医療を施される側(まあ患者ということです)が、当事者の医師を逮捕した警察やマスコミの報道姿勢をネット上で批判するケースが多いということです。
医療界が警察を批判するのは理解できます。批判が広がった結果、「こんなことでは産婦人科をやっていられない。担い手がいなくなってしまう」と個人的に考える医師もいるでしょう。職業選択の自由があるから当然です。
ただ、同じことをもう少し大きなレベルで医療界なり関連学会がいうのは妥当でしょうか。どちらかというと行政などと連携して、個々の医師の中でそういう動きが出ないように対策を講じるのが仕事と言えないでしょうか。
しかし今回のケースでは医療界全体が「こんなことではやっていられない」といった意味の合唱になってしまいました。これは、言い方がきついかもしれませんが、患者側を人質にとったようなやり方に思えます。
そしてネット上ではいわゆる患者側の人たちもそういった医療界の声に乗ってしまい、警察なりマスコミなり、今回亡くなった妊婦の家族に批判を向けました。「妊婦の家族が声を上げなければ、警察が当該の医師を逮捕しなければ、産科の崩壊はなかった」と。
このことに私は違和感をもちます。妊婦の家族や警察などを批判する患者側の人たちは、もし自分の家族が医療行為の結果、亡くなったとした場合、それに異議を唱えることはまったくないのだろうかということです。手術をした医師に疑念を抱いたり、警察に強制捜査を求めたりはまったくしないのかなと考えます。こういった人たちは総論賛成だけど各論(自分の身内が亡くなった場合など)もやっぱり賛成なのでしょうか。
では、なぜそういった患者側の人たちがネット上に多いのか考えてみました。ネット上では今回の事件に関して医師のブログが言論をリードしていたように思います。こういったブログは同業者として当事者の医師を応援する内容がほとんどで、警察の行為を指弾していました。私は今回の判決の評価は控えますので、裁判の当否に言及するつもりはありませんが、ネット上の患者側の人たちも医師のブログに影響される部分が多かったのではないかと思います。その中で裁判(一審)は医師が無罪となりました。
こういったネット上の言論は、マスコミの論調とはズレがあるように感じます。乖離といっていいかもしれません。あくまで私の個人的な感触ですが、その乖離はだんだん広がってきているように思います。新聞が部数を減らすなどマスコミが影響力を落としている一方、ネットの利用者が年々増えているのはご存じのとおりです。ブログで情報発信する人も増えています。ネット言論とマスコミ言論との乖離が顕著になるなかで、どっちが正しいかは今回の裁判も含めて私にはわかりません。ひとつだけいえるのは力関係がネットにシフトしている点であり、マスコミも無視しえなくなってきたということではないでしょうか。