ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

力不足でした ノーベル物理学賞その2

自分の思っているとおりのことを読み手に理解してもらう文章を書くというのはなかなか難しいものです。
前のエントリー「想像ですが 人徳のノーベル賞」「だから素人は ノーベル物理学賞」に関して、「通りすがりの者です」さんから以下のようなコメントをいただきました。

推薦委員は一応インサイダーで権威もあるはずですが、それほど決定の中心には居ないはずです。ただし、素粒子物理の世界は研究者の人数も少なく、互いの事情はよく判っているので、その分野に関してはかなり事情が見通せていたのではないでしょうか。あと人徳とかで受賞する事は絶対無いと思います。

通りすがりの者ですさんのコメントを読んで、とくに自分の文章の中でよくなかったと思うのは「想像ですが 人徳のノーベル賞」の次の部分です。

益川氏は受賞の記者会見で「南部先生が(賞を)取っていただいたことが一番うれしい」(8日の日経朝刊)と語っています。「取っていただいた」との言い方は、側面支援したとのニュアンスがあるようにも感じられますが、違うでしょうか。

この中の「側面支援」がよくなかった。
私としては、益川、小林両氏の受賞が南部氏の受賞の引き金になった、との意味で書いたのですが、これは見当違いでした。
また、通りすがりの者ですさんは、推薦委員が直接選考にタッチするとの意味で側面支援があったと私が書いていると理解しておられるようです。そうだとしたら、それは私の文章力不足にほかなりません。
人徳云々に関しては、私も

南部氏の業績をおとしめるつもりはまったくありませんし、ノーベル賞委員会がそんな理由で南部氏を選定したわけもないでしょうが、受賞理由のいくらかはもしかしたらこうやって後輩から慕われている南部氏の人徳にあるのかもしれません。こういった3氏の人間関係を想像してみると私もなんだか胸がじーんとなりました。

と書いており、レトリックの範疇のつもりだったのですが、うまく伝わらなかったようです。これも私の力不足でした。
ただ、日本にノーベル賞が来た理由(日経ビジネス)では、こう述べられています。

小林・益川の両氏の受賞は、まずもって喜ぶべきことと思いますが、今年のノーベル物理学賞が日本に来た最大の理由は、昨年までに戸塚洋二さんにノーベル物理学賞を授与しそこね、巨大な学術予算も投入して得られた「ニュートリノ振動の観測=ニュートリノ質量の存在確認」という大成果に、結局ノーベル賞が出せなかったことに対する、強烈な批判と様々なロビィ活動があって実現したものと考えるべきでしょう。

ロビー活動の主体が誰なのか、この記事では明らかではありませんが、それだけのロビー活動を展開させる要員のひとつとして、もしかしたら南部氏の人徳も入ってはいないかと。
というわけで、一部、言い訳も含めて反省の弁でした。