ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

京都市VS白足袋 留学生寮計画問題

みなさん、モメごとは好きですよね。ましてや、国宝の仏像がある大寺院と京都市が当事者となればなおさら興味がわきますよね。というわけで以下のニュースです。

追跡京都2009:広隆寺隣接地に留学生住宅 見え隠れする“拒否感” /京都
古刹(こさつ)、名刹が数ある京都でも最古の歴史を誇る広隆寺右京区太秦蜂岡町)が5日、隣接地に留学生向け集合住宅の建設を計画している京都市を相手取り、十分な合意のないまま工事を進めないよう求める調停を京都簡裁に申し立てた。関連工事の振動で被害が出たと主張しているが、留学生への“拒否感”も見え隠れ。門川大作市長は「そもそも(太秦は)渡来人が開いた国際的な街」と理解を求めている。寺側が「古都税紛争以来」という今回の問題、解決の糸口は全く見えない。
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20090809ddlk26040374000c.html

いろんな意味でなんか奇異な感じがします。こういう紛争を外見通りに受け取ってはいけません。ここは京都なのです。以下、あくまで想像ですが、こういう事態になった原因はなにかを考えてみました。
まず思ったのは、京都市は青写真の段階で真っ先に広隆寺側に打診したであろうということです。京都市は白足袋のみなさんの意向を無視することはできません。
(過去エントリー)白足袋は偉大です 仏教会と市が新事業
その時点で寺側が強硬に反対していたのなら、計画そのものはボツになっていたとみるのが自然です。留学生寮なんてどうしても広隆寺のとなりに建てないといけないわけでもないでしょう。代替地はどこにでもあったはずです。それなのに計画は進行し、こういう事態になってしまった。それが奇異なのです。
考えられる背景は以下のようなことでしょうか。
1.単に京都市側の根回しが不足していた。
これは論外です。優秀な京都市職員がそんなミスを犯すとは考えにくい。
2.寺側はあくまで反対だが、京都市側に強行しなくてはならない事情がある。
たとえば建設関係のなにかなんでしょうか。よくわかりません。
3.寺側がいったん同意していたにもかかわらず、翻意した。
もしそうなら京都市側が怒るのも無理はありません。
4.この問題とは別に、寺と京都市でなにか別の問題がある。
取り引きの材料として留学生寮が浮上したということでしょうか。あくまで想像です。
門川市長の記者会見の応対を京都市のHPでみてみると、困惑しているというより、けっこう自信満々な感じを受けます。一歩も引く構えはありません。

そもそも京都は国際都市であり,またあの地域は渡来人が開いてこられたまちでもあります。だから,そこに新たに留学生寮をつくり,外国の方々が学ばれるということは非常に素晴らしいことだと今も私は確信しておりますし,またそのように説明してきました。担当者も含めて何度も話し合いをしてきました。話し合えば御理解いただけると思い,年末に,私自身も話し合いをさせていただきました。
・・・
ただし,基本的に留学生寮が広隆寺の横にあることについてふさわしくないと仰っています。そのことについて我々は,あの場所は留学生寮が非常にふさわしいと考えておりますので,その辺りで根本の一致がなかなかできないのが残念であります。粘り強く説明して参りたいと思っています。
http://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000066589.html

多くの市民もこの問題を額面通りには受け取っておらず、必ずウラがあるのではないかと考えていると思います。記者会見の市長の発言のあたりがもしかしたら「ウラ」がなにかを解明するヒントなのかもしれません。