ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

中央(値)的日本人

さいきん中央値が脚光を浴びているらしいです。収入に関する統計なんかでとくによく登場するようです。
その理由はこうです。話を単純化して考えてみます。
たとえばある村に住民が10人いるとしましょう。そのうち9人は年収が1万円、2万円、3万円..〜9万円だとします。そして10人目は1000万円だとします。
10人の年収の平均をとってみましょう。1〜9人目の合計が45万円、10人目が1000万円だから、1045万円を10で割って104万5000円となります。
あくまで計算上、平均年収はこういう数字になるわけですが、この数字がこの村の住民の年収の実態を反映しているかというと、ちょっと違うんじゃないかということになってきます。9割の住民が平均値を大幅に下回る年収しかないからです。
では、10人のうち、少ないほうから5番目とか6番目の人の年収をみてみましょう。5万円とか6万円とかになります。すくなくとも平均値よりは、なんとなくこの村の人々の年収の実態をあらわしているように思えます。これが中央値です。
収入などの統計をとってその傾向を調べようとする場合、これまでは平均値が一般的に使われていました。それは、平均値と中央値がだいたい似通った数字でおさまっていたからです。
しかし、前述したように平均値が実態を必ずしも正しく反映しないというような事態も出てきました。その結果、中央値の出番となったわけです。
なぜそうなったか。収入についていえば、稼ぐ人とそうでない人の差がより大きくなったからではないかと考えられます。少数のきわめて富める人と圧倒的大多数のそうでない人という風に二極分化してきたからではないでしょうか。
そうやって考えてみると、何気なく使ってきた「平均的日本人」といういいかたは実態を正しく反映しない場合もあるといえそうです。これからは「中央(値)的日本人」といったほうがいいのかもしれません。