ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

メールアドレス

ちょっと期間があいてしまいました。

メールアドレスを電話で口頭で言う方がいます。やめてほしい。

業務でそういうケースに遭遇してめちゃくちゃストレスがたまりました。

おねがいしていたメールの返事が期日になっても来ないので、しびれを切らして電話しました。期日を過ぎているのでラチがあかないと思ってやむなく電話したわけです。

そうしたら先方は「今夜、自宅のパソコンから送るから」と言ってメールアドレスを口頭で告げました。

言われたとおりに送ったら戻ってきたので、メールアドレスを手書きしてファクスで「添削してください」と送りました。

すると電話が先方から来て、添削内容を口頭で言ってきました。

口頭だと間違いのもとで、現に間違えているからファクスでやりとりしてるのに、分かってもらえないかなあ。

こちらからお願いしている案件なので高飛車に出るわけにもいかず、電話を諾々と聞いてました。結局、送れましたがね。

先方は公共機関の研究部門の方ですが、こういうやりとりをしていて不合理だと感じないのかな、と思ってしまいます。

そもそもこちらが改めて自宅にメールする必要はなく、私が先方の職場に送ったメールを先方が自宅に転送すればいいだけなんですが。わざといやがらせをしているのでしょうか。

ちなみに私はメールでやりとりが生じる場合、メールアドレスは名刺を拡大コピーして相手にファクスで送っています。

なんかストレスたまるなあ。

季節もの

ちょっと前ですが、自宅庭にある山椒の実を摘み取って「ちりめん山椒」をつくりました。関西でいう「ちりめんじゃこ」と山椒の実を合わせます。山椒のぴりりとした風味に季節を感じます。

そうこうするうちに夏野菜の季節になりました。夏野菜といえば生で食べるのが定番ですが、わたしはカレーを作ることが多いです。ナス、キュウリ、オクラ、トマトなど適当に入れて煮込みます。夏野菜のさわやかな風味で食が進みます。

夏といえば花火ですね。私が住んでいる町でも8月の初めに花火大会があります。何発もの花火が開いては消える様子が湖面に映し出されます。

50歳をこえてからこういった季節ものがなんかいとおしく思えるようになりました。1年に1回のものに巡り合えるということは1年間なんとか無事に過ごせてまた年を取れたということだからです。

一見なんということないのかもしれませんが、これはとてもありがたいことだと思えます。余生がだんだん減ってきたから余計にそう思うのかもしれません。みなさんも身の回りでお気に入りの季節ものを見つけてみてはいかがでしょうか。

私が「ぼちぼち そこそこ」をやってる理由

このブログを続けている理由について、ふと考えたのでメモ程度に書き残しておきます。

1 頭の体操

10年ほど前に始めたころは時事ネタを中心にしていましたが、最近は身辺雑記が多いです。日々思いついたことをとりあえず文字にしています。どういうふうに頭の体操をするかという点ですが、なにか気になる事象があるときに、その背景とか、ちょっと難しいですけど上位概念を探し出すようにしています。

2 ものを書く練習

上記で「とりあえず文字にする」と書きました。このブログでは正直、よく練られていない表現も散見されますが、それでもいいと思っています。書きかけメモを公開しているようなものですが、まあご容赦ください。もうちょっと改まって書くような機会があるとするなら、だいぶ推敲するかと思います。

スクラップノート

http://m160.hatenablog.com/entry/2019/06/24/140143

前回、レシートをノートに貼っていく書き込みをしました。

その関連です。

スクラップにノートを使っているのはなぜか、という話です。

これも元ネタがあります。仕事の関係先の事務所で新聞記事をノートにスクラップしているのを見たのがきっかけです。

新聞のスクラップ帳というとボール紙でできたちょっと太い帳面を思い出す人も多いでしょう。あれはあれでいいんですが、使いにくい部分もあるんです。

それは、本棚に立てかけたときに倒れやすい点です。思いの外、かさばる点もあります。

その点、ノートだと整理がしやすいんです。

ノートはB5判でもいいですが、A4判だと大きなものも貼れて便利です。新聞記事の大きなものも縮小コピーすればだいたい貼れます。

安いノートでいいです。私は100均で買っています。ページ数はなるべく多いほうがいいでしょうね。

私は紙の両面に貼らず、片面だけにしています。場合によっては切り取って使えるからです。かさばらなくて済むのもあります。

最近は薄い紙のノートもあるので、それを使えばかさばらないかもしれません。

便利なのでいちど試してみてください。

レシート

買い物のレシートをけっこうためる性分です。知らないうちにだんだんとたまってきます。

先日、たまっていたレシートを整理しました。

日常のスーパーなどでの買い物のレシートは捨てました。そして、残りのこれというものは日付け順にノートにのりで貼り付けていきました。

いちばん古いものは2010年だから10年近く前です。デパートで買ったかばんのレシートです。長く使っているなとは思っていましたが、これでまる9年使っていることが判明しました。

あとはクルマのタイヤを交換したレシートもありました。いつ、どの店でいくらのタイヤを買ったかがわかります。タイヤの減り具合は現物を見ればわかりますが、年数もこれではっきりします。

あんまり衣服にお金をかけるほうではないですが、レシートを見れば、いつ、どんなものを買ったかわかります。だいぶくたびれてきたジャージもレシートを見るとまる6年以上着ていることがわかります。「そろそろ新しいのを買おうか」という目安になります。

あとコンサートや美術展のチケットも貼ってます。北陸に行った際のラーメン店のチケットも残ってました。このとき確か3男が途中で迷子になって大捜索した思い出がよみがえってきました。

このようにレシートのスクラップ帳は買い物だけでなく思い出も含めた履歴として非常に秀逸です。

加えて最近のレシートは品質保証の証書を兼ねているケースも多く、いつ買ったかがはっきりしていれば、保証期間内かどうかもたちどころにわかります。

なんでこういうことをしようと思ったのかというと、元ネタがあるんです。

大昔に欧州に旅行に行った際のことです。若かったのでバックパッカーみたいな感じで出かけたのですが、旅先で一緒になった白人の若者が飲み食いなどのレシートをのりで日記帳に貼り付けてコメントを書き加えていたのです。

いまならブログで食べたものの写真をアップするとかもできるんでしょうが、当時はそんな便利なものもないわけで、その若者がやっていたことに「こりゃいいな」と感心したおぼえがあります。

レシートのいいところはお金をいくら使ったかわかることです。それはバックパッカーのような貧乏旅では、予算をどれだけ使って旅の計画をどう遂行していくかという点でとても大切なことです。

加えて、後年、思い返してみたときに費用をいくらかけたかというのは記憶に残りやすいこともあります。たとえば、ミュージカルを見たとして、席がどのあたりだったとか、何千円もかかってたな、とかの情報をたどって当時の記憶が呼び覚まされてくる点があるのではないかということです。

あたりまえですが、レストランとかなら住所や電話番号が書いてありますから再訪することも容易になります。

わたしは今、旅先で会った若者にならってレシートのスクラップ帳をこしらえていますが、ひとつ残念なのは、若者に会って以降、次の海外旅行では若者と同じように旅の日記帳をこしらえようと思っているのにその機会がなかなか訪れないことです。また海外に行きたいなあ。

軽ナンバー

ちょっと腑に落ちないことがあります。

自動車のナンバープレートは普通車だと白地に緑字、軽だと黄地に黒字ですね。普通と軽を区別する必要があるからまあそうなっているんだろうといままで思っていました。

それがそうでもなくなっているらしいです。

来年の東京五輪の記念プレートなんかは軽自動車も白地に緑字です。このナンバーの軽はよくみるとすでにけっこう走ってます。

そういうナンバーを付けている人のひとりに聴いてみたところ「黄地はかっこわるいので白地に変えた」との返答がありました。ついでにいうと、この人は有料道路で係員から普通車の料金を要求され、「車両を見たら軽だとわかるだろ」と憤慨したとのことです。

実はわたしも軽に乗っていますが、ナンバーは黄地のままです。加えて言えば、前述の軽オーナーの憤慨が理解できません。

普通と軽を識別する必要があるからナンバーの色が別になっているのに、それを普通と同じ色にしておいて「なんでわからないんだ」と憤慨する神経がわたしは理解できないのです。

そもそも五輪ナンバーが普通と軽で同じ白地になっているというのも行政として悪手だと思います。

黄地がかっこわるいのなら青地とかでもいいじゃないかと思います。とりあえず識別できるよう白地以外にするべきだったでしょう。

考えるに、黄地のナンバーをかっこわるいと思う軽オーナーの心理というのは、黄色とか特定の色が気に入らないのではなく、普通車と違う色のナンバーを付けさせられていることにあるのではないかと思います。

だから、仮に普通車が黄地で軽が白地だったら、そういったオーナーは今度は「白地はかっこわるい」と言い出すのではないかと思慮します。

わたしは正直、クルマのことに関心がないからどうでもいいです。今後も黄地ナンバーを付け続けます。他方、白地にこだわる軽オーナーの心理というのは「まあ好きにしたらいいんじゃないか」と言った感じです。

でも本来、普通と軽を識別するためにナンバープレートの色を違えているわけで、それを普通と同じ色を選択しておいて、料金所の係員に「これは普通車じゃないだろ」と食ってかかるというのはちょっと解せない神経だと感じます。

テレビとラジオ

テレビをあんまり見なくなって久しいです。その間はもっぱらラジオだったのですが、最近、住環境が少し変わって、朝の時間帯にテレビを見ることがあります。

テレビはラジオに比べて情報が多いです。ラジオは音だけですが、テレビは映像もありますから。

最近、テレビを見ていて思うのは、テレビは伝えようとする情報量が多すぎて見てるほうからするとなんか疲れてしまうんです。

朝の情報番組を見ていてもアナウンサーのナレーションにBGMが被さるし、映像もスタジオを映すだけでなく、コメンテーターのワイプや天気・気温などのテロップが出ます。

それぞれ必要な情報だと考えて制作側は用意してるのでしょう。それは理解しますが、なんで疲れるのかというと、単に情報量が多いだけでなく、自分にとって不必要な情報まで入ってくるからではないかと思います。

それに比べてラジオは伝えようとする情報の内容がすうーっと入ってくるような気がします。

私は主にNHK第一を聴きますが、テレビに比べてラジオは音だけです。伝達手段が音しかないから、テレビのようになにもかも盛り込まず、逆に情報をそぎ落としていって、ナレーション一本で伝えようとします。BGMなんか入れようものなら、いちばん伝えたいナレーションを邪魔してしまうことになってしまいます。

そのあたりがテレビとラジオの差のような気がしています。

たまにテレビも音声を消して画面だけ流していることがあります。そのほうがストレスがないような気がします。

もうひとついうと、NHKのニュースもテレビだと変にバラエティー化してきたのが気になります。その点、ラジオは時間制限もあるのかもしれませんが、ストレートニュースやその解説だけを取り扱っていて密度が濃いように思います。

ニュースに限ればNHKのラジオを聴いていれば十分という感じがしてます。