ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

私が「ぼちぼち そこそこ」をやってる理由

このブログを続けている理由について、ふと考えたのでメモ程度に書き残しておきます。

1 頭の体操

10年ほど前に始めたころは時事ネタを中心にしていましたが、最近は身辺雑記が多いです。日々思いついたことをとりあえず文字にしています。どういうふうに頭の体操をするかという点ですが、なにか気になる事象があるときに、その背景とか、ちょっと難しいですけど上位概念を探し出すようにしています。

2 ものを書く練習

上記で「とりあえず文字にする」と書きました。このブログでは正直、よく練られていない表現も散見されますが、それでもいいと思っています。書きかけメモを公開しているようなものですが、まあご容赦ください。もうちょっと改まって書くような機会があるとするなら、だいぶ推敲するかと思います。

スクラップノート

http://m160.hatenablog.com/entry/2019/06/24/140143

前回、レシートをノートに貼っていく書き込みをしました。

その関連です。

スクラップにノートを使っているのはなぜか、という話です。

これも元ネタがあります。仕事の関係先の事務所で新聞記事をノートにスクラップしているのを見たのがきっかけです。

新聞のスクラップ帳というとボール紙でできたちょっと太い帳面を思い出す人も多いでしょう。あれはあれでいいんですが、使いにくい部分もあるんです。

それは、本棚に立てかけたときに倒れやすい点です。思いの外、かさばる点もあります。

その点、ノートだと整理がしやすいんです。

ノートはB5判でもいいですが、A4判だと大きなものも貼れて便利です。新聞記事の大きなものも縮小コピーすればだいたい貼れます。

安いノートでいいです。私は100均で買っています。ページ数はなるべく多いほうがいいでしょうね。

私は紙の両面に貼らず、片面だけにしています。場合によっては切り取って使えるからです。かさばらなくて済むのもあります。

最近は薄い紙のノートもあるので、それを使えばかさばらないかもしれません。

便利なのでいちど試してみてください。

レシート

買い物のレシートをけっこうためる性分です。知らないうちにだんだんとたまってきます。

先日、たまっていたレシートを整理しました。

日常のスーパーなどでの買い物のレシートは捨てました。そして、残りのこれというものは日付け順にノートにのりで貼り付けていきました。

いちばん古いものは2010年だから10年近く前です。デパートで買ったかばんのレシートです。長く使っているなとは思っていましたが、これでまる9年使っていることが判明しました。

あとはクルマのタイヤを交換したレシートもありました。いつ、どの店でいくらのタイヤを買ったかがわかります。タイヤの減り具合は現物を見ればわかりますが、年数もこれではっきりします。

あんまり衣服にお金をかけるほうではないですが、レシートを見れば、いつ、どんなものを買ったかわかります。だいぶくたびれてきたジャージもレシートを見るとまる6年以上着ていることがわかります。「そろそろ新しいのを買おうか」という目安になります。

あとコンサートや美術展のチケットも貼ってます。北陸に行った際のラーメン店のチケットも残ってました。このとき確か3男が途中で迷子になって大捜索した思い出がよみがえってきました。

このようにレシートのスクラップ帳は買い物だけでなく思い出も含めた履歴として非常に秀逸です。

加えて最近のレシートは品質保証の証書を兼ねているケースも多く、いつ買ったかがはっきりしていれば、保証期間内かどうかもたちどころにわかります。

なんでこういうことをしようと思ったのかというと、元ネタがあるんです。

大昔に欧州に旅行に行った際のことです。若かったのでバックパッカーみたいな感じで出かけたのですが、旅先で一緒になった白人の若者が飲み食いなどのレシートをのりで日記帳に貼り付けてコメントを書き加えていたのです。

いまならブログで食べたものの写真をアップするとかもできるんでしょうが、当時はそんな便利なものもないわけで、その若者がやっていたことに「こりゃいいな」と感心したおぼえがあります。

レシートのいいところはお金をいくら使ったかわかることです。それはバックパッカーのような貧乏旅では、予算をどれだけ使って旅の計画をどう遂行していくかという点でとても大切なことです。

加えて、後年、思い返してみたときに費用をいくらかけたかというのは記憶に残りやすいこともあります。たとえば、ミュージカルを見たとして、席がどのあたりだったとか、何千円もかかってたな、とかの情報をたどって当時の記憶が呼び覚まされてくる点があるのではないかということです。

あたりまえですが、レストランとかなら住所や電話番号が書いてありますから再訪することも容易になります。

わたしは今、旅先で会った若者にならってレシートのスクラップ帳をこしらえていますが、ひとつ残念なのは、若者に会って以降、次の海外旅行では若者と同じように旅の日記帳をこしらえようと思っているのにその機会がなかなか訪れないことです。また海外に行きたいなあ。

軽ナンバー

ちょっと腑に落ちないことがあります。

自動車のナンバープレートは普通車だと白地に緑字、軽だと黄地に黒字ですね。普通と軽を区別する必要があるからまあそうなっているんだろうといままで思っていました。

それがそうでもなくなっているらしいです。

来年の東京五輪の記念プレートなんかは軽自動車も白地に緑字です。このナンバーの軽はよくみるとすでにけっこう走ってます。

そういうナンバーを付けている人のひとりに聴いてみたところ「黄地はかっこわるいので白地に変えた」との返答がありました。ついでにいうと、この人は有料道路で係員から普通車の料金を要求され、「車両を見たら軽だとわかるだろ」と憤慨したとのことです。

実はわたしも軽に乗っていますが、ナンバーは黄地のままです。加えて言えば、前述の軽オーナーの憤慨が理解できません。

普通と軽を識別する必要があるからナンバーの色が別になっているのに、それを普通と同じ色にしておいて「なんでわからないんだ」と憤慨する神経がわたしは理解できないのです。

そもそも五輪ナンバーが普通と軽で同じ白地になっているというのも行政として悪手だと思います。

黄地がかっこわるいのなら青地とかでもいいじゃないかと思います。とりあえず識別できるよう白地以外にするべきだったでしょう。

考えるに、黄地のナンバーをかっこわるいと思う軽オーナーの心理というのは、黄色とか特定の色が気に入らないのではなく、普通車と違う色のナンバーを付けさせられていることにあるのではないかと思います。

だから、仮に普通車が黄地で軽が白地だったら、そういったオーナーは今度は「白地はかっこわるい」と言い出すのではないかと思慮します。

わたしは正直、クルマのことに関心がないからどうでもいいです。今後も黄地ナンバーを付け続けます。他方、白地にこだわる軽オーナーの心理というのは「まあ好きにしたらいいんじゃないか」と言った感じです。

でも本来、普通と軽を識別するためにナンバープレートの色を違えているわけで、それを普通と同じ色を選択しておいて、料金所の係員に「これは普通車じゃないだろ」と食ってかかるというのはちょっと解せない神経だと感じます。

テレビとラジオ

テレビをあんまり見なくなって久しいです。その間はもっぱらラジオだったのですが、最近、住環境が少し変わって、朝の時間帯にテレビを見ることがあります。

テレビはラジオに比べて情報が多いです。ラジオは音だけですが、テレビは映像もありますから。

最近、テレビを見ていて思うのは、テレビは伝えようとする情報量が多すぎて見てるほうからするとなんか疲れてしまうんです。

朝の情報番組を見ていてもアナウンサーのナレーションにBGMが被さるし、映像もスタジオを映すだけでなく、コメンテーターのワイプや天気・気温などのテロップが出ます。

それぞれ必要な情報だと考えて制作側は用意してるのでしょう。それは理解しますが、なんで疲れるのかというと、単に情報量が多いだけでなく、自分にとって不必要な情報まで入ってくるからではないかと思います。

それに比べてラジオは伝えようとする情報の内容がすうーっと入ってくるような気がします。

私は主にNHK第一を聴きますが、テレビに比べてラジオは音だけです。伝達手段が音しかないから、テレビのようになにもかも盛り込まず、逆に情報をそぎ落としていって、ナレーション一本で伝えようとします。BGMなんか入れようものなら、いちばん伝えたいナレーションを邪魔してしまうことになってしまいます。

そのあたりがテレビとラジオの差のような気がしています。

たまにテレビも音声を消して画面だけ流していることがあります。そのほうがストレスがないような気がします。

もうひとついうと、NHKのニュースもテレビだと変にバラエティー化してきたのが気になります。その点、ラジオは時間制限もあるのかもしれませんが、ストレートニュースやその解説だけを取り扱っていて密度が濃いように思います。

ニュースに限ればNHKのラジオを聴いていれば十分という感じがしてます。

固定資産税

自宅周辺を含めて先祖伝来の土地が多少あります。

田舎は田舎なんですが、いちおう市街化区域にかかっているため、固定資産税や都市計画税がそれなりにかかります。

土地は立派な資産です。一昔前なら土地を持っていれば「資産家」と呼ばれました。右肩上がりの時代なら将来の値上がりを見越すことも意味があったでしょう。

でも今後は人口減少の時代です。土地は増えたり減ったりしませんが、人口が減るということは、土地を必要とする人間が減るということを意味するわけで、土地の需要が今後減っていくことは明らかです。当然、地価は下落していくでしょう。

ということは、これから土地を保有していくというのはかなりリスキーなことなのではないかと考えます。有効利用できて税金を上回る利益が見込めるのならいいですが、今後、地価が下がっていくどころか、売りたいと思ったときにはもう需要がなくなって、売れないという事態にならないともかぎりません。

当然、国内の不動産業は厳しくなっていくでしょう。

「土地持ち」というと資産家の代名詞みたいな響きも一時はありましたが、今後は土地持ち貧乏てなことになりかねないのでは。

戦後の農地解放は半ば強制的に政策として行われました。それから70数年、放っておいても解放が進むといった事態になりかねなくなってきました。

これからすこし脱線します。

土地の次は金融資産も保有税がかかるようになるのではないでしょうか。現在でも金利には課税されますが、一歩進めてお金も土地と同じように持ってるだけで税金がかかるようになるのではないかと思います。

グーグル先生初体験

グーグルドキュメントの音声入力を初めて本格的に使ってみました。

詳細については「グーグルドキュメント 音声入力」とか「グーグルドキュメント テープ起こし」などでぐぐってみてください。

インタビューの音源を聞きながら聞いたことをパソコンに話していくとグーグルドキュメントが文字起こしをしてくれます。

いやあ、すごい時代になったなと。使ってみて気づいたことを備忘録として書いておきます。

1 聞いたことをそのまま文字起こしするのは非効率。

インタビューだと相手は考えながら話します。その話し言葉をそのまま文字起こししても文章としてつながりが悪かったり、重複が多かったりします。なので、聞いたことをある程度、頭の中で整った文章に直して吹き込んだほうが効率的なのではないでしょうか。

2 その場で直す。

文字起こしの精度はかなりのものですが、やっぱりそこは機械がやることなので限界があります。間違いも出てきます。もしかしたら吹き込む側の滑舌の悪さも影響しているのかもしれませんが。そういったときはレコーダーを止めて、その場で文章を修正していったほうがいいです。再生をとめるのは一見めんどうなことのように思えますが、あとあとのことを考えるとそのほうが効率的だと思います。

3 文章を区切る。

あたりまえですが、起こした文章に句読点はつきません。なので、自分で付ける必要があります。改行でもいいし、ブランクでもいいけど、文章と文章の間の区切りがはっきりしているほうが分かりやすいですよね。

要するに、他人が見てわかるような完全な文章に仕上げる必要はないとしても、自分があとで見返してみて最低限誤解が生じないようにしておいたほうが便利だということです。

今後、グーグル先生の精度も上がっていくでしょうし、これは便利なものができたな、との印象です。