ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

和田中学補習問題

勉強ができる子供をもっと伸ばすのか、それとも、できない子供を少しでもできるようにするのか。教育の神学論争と言ってもいいかもしれません。
杉並区・和田中学の補習問題が話題になっています。学校で、できる子供を対象に補習を行うとのことですが、都教委が難色を示しているらしいです。↓
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080107it15.htm
前述したとおり、一般論として、学校の機能としては以下の2つがあるといっていいでしょう。
1、成績トップクラスの子の成績をさらに伸ばす。
2、できない子供をできるようする。
要するに個人の能力開発に対する資源配分をどうするかということなのかと思いますが、この場合、一般に想定されている受益者は子供本人です。教育は子供のため、という前提に異を唱える人は少ないのではないでしょうか。
一方で、受益者を国家もしくは社会と考えることもできるでしょう。そうすると、違った側面がみえてきそうです。
「1」だと、ノーベル賞をとるような天才を出現させて独創的なアイデアで世界をリードするイメージです。
「2」は、全体的な底上げを図り、均質な労働力を社会に提供していくような感じでしょうか。
そう考えたときに、公立でしかも義務教育を提供する和田中学として、どういった役割がふさわしいのか。いろいろ議論が分かれるところではないでしょうか。
これからの自由主義的な方向性では「1」も場合によってはありうることかもしれませんが、費用対効果からいっても、基本的に「2」に重点を置くのが自然なのではないでしょうか。Web2.0風にいうと、「ロングテール」の底上げが全体の底上げに重要なのではないかという気がします。
日本はOECD加盟の学力テストでも凋落傾向のようです。↓
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20071204AT1G0302Z04122007.html
06年の国民1人あたり名目国内総生産(GDP)が、経済協力開発機構OECD)加盟国(30カ国)中で18位に下がったとの報道も最近ありました。↓
http://www.asahi.com/business/update/1226/TKY200712260264.html
こうしてみると、子供の学力の衰退が国力の衰退につながると想像力を働かせる人もいるかもしれません。
民間出身の校長は「下の子への取り組みはいくらやっても批判されないのに、上の子をもっと出来るようにすると言った途端に公平性とか平等とか言われる」といっているようです。↓
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200801090317.html
和田中学の問題は、中学側の意図は別にして、教育は誰のためのものかという根源的な問いを投げかけているのかもしれません。もし個人だけが受益者ではないとしたら、どういったやりかたが社会や国家にとってプラスになるのかを図らずもわたしたちに考えさせようとしているのかもしれません。
余計なことですが、OBには長州小力もいるらしいです。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E4%B8%A6%E5%8C%BA%E7%AB%8B%E5%92%8C%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1