ぼちぼち そこそこ

脱力と諦観でつづるおっさんの日常

おでんうどん

寒くなってきて、おでんがおいしいですね。おでんはわが家でもよく食卓にのぼります。

なべもの おでん 豚汁 - ぼちぼち そこそこ

おでんを食べていくと最後に出汁が残ります。もしかしておでんの残り汁を捨てていませんか? もったいないですよ。

おでんは、いろんな具を出汁で煮込んで、具に出汁の味をしみこませて食べる料理です。そういう意味では、主役は具で、出汁は脇役です。

でも、考えてみてください。具は練り物やすじ肉、野菜などです。煮込んでいって、出汁の味が具にしみこんでいく過程というのは、具のうまみが出汁に流れ出ていく過程だともいえなくないでしょうか。

だから具のうまみが詰まったそんな残り汁を捨てるなんてとんでもないことです。徹底的に活用したいところです。

私は最後に残り汁にうどんなど麺をいれて食べます。先日は、残り汁にモヤシなどの野菜とうどんをいれました。

煮詰まっていた場合はすこしお湯でのばします。野菜と練り物のうまみが出ていて、食べるといい感じであったまりました。

考えてみたら、鍋物でも同じような食べ方をします。具のうまみが出たスープで最後に麺をゆがいたり、雑炊にしたりしますよね。おでんでおなじことをやってもなんらおかしくないはずです。おでんも鍋物の一種だということなんだろうなと勝手に合点しています。

忘れ物

社用携帯を持っていることは前に書きました。

フリック入力 - ぼちぼち そこそこ

その携帯をけさは忘れてしまいました。

着替えるときに棚に置いていて、ポケットに入れるのを忘れたのです。

なにか既視感がありました。先日も忘れ物をしたなあと思い出しました。

忘れ物 - ぼちぼち そこそこ

勤め先に生肉を忘れてしまい、食べられなくなってしまったのです。

この2つの出来事には共通点があるなあと思い至りました。

むだなアクションがあったのが、忘れ物の原因になっているのです。

スマホの場合は棚に置いたことです。着替えるときに、これから着ようとするシャツやズボンのポケットにあらかじめスマホを入れていれば忘れなかったはずです。

生肉も同様です。持って帰るのを思い出して冷蔵庫から取りだしたまではよかったのです。問題はその後です。冷蔵庫の近くの棚にいったん置いたのです。

そのまま運んで先に車に入れてしまうか、かばんなど持ち帰る荷物の近くに置いていれば忘れなかったはずです。

2つとも余計な動作をしたがために忘れ物につながってしまったということです。

50数年も生きてきてやっとこんな気付きがあったというのも、いいのやら、悪いのやら。次からは忘れないようにしよう。

ビュッフェ

先日、勤め先の懇親会がありました。

近くのホテルで立食パーティーをしました。

給料から天引きされているので、参加しないと損になるから、皆、しぶしぶ出席して飲み食いします。ビュッフェ形式なんですが、観察してるといろいろと面白いですねえ。

とにかく自分の好物を山盛り取って食べる人とか、仕事ぶりを知らなくてもなんか性格がもろ分かりな感じがします。いきなりサンドウィッチを食べてる人もいました。

ステーキもその場で焼いてくれます。なかなか高級です。みんな意地汚いのですぐに行列ができました。私も並びました。

けっこうな上役の人が私の前にいました。ステーキを手にすると「いままでビールだったし、次はワインでも」と言ってバーの係員に意気揚々と注文しました。「白ワイン」。わたしは心中で吉本新喜劇の芸人のようにずっこけました。

いやまあ、ステーキに白ワインでもいいんですけどねえ。

魚やチキンは白、肉は赤という感じで交互に注文して、1時間くらいでたぶんボトル1本分くらいは飲んだでしょうか。料理はなかなかいい感じでした。ワインそのものはまあまあだったかな。

スウェーデンのバイキング料理(スモーガスボード)は、冷たい魚→冷たい肉(ハムなど)→温かい魚→温かい肉、の順番で食べていくんだと聞いたことがあります。北欧にまた行きたいな。

ひさしぶりに豪華な料理を食った一夜でした。

昼呑み

前回の「牛逃走」で牛を飼っていた叔父の法事が先日ありました。

うちのあたりの法事は午前中に勤行を済ませて、昼からは「なおらい」になります。昔は家で仕出しをとってすることが多かったのですが、さいきんは料理店に出向くこともあります。

なおらいというけど、要するに会食で昼から酒を飲むわけです。法事の出席者は平日はまあ働いているので、法事は土日にやるのがほとんどです。休みだからふだんでもまあ昼から酒を飲んでも誰にもとがめられないわけですが、ふつうは自宅にいたりしたら家族の目もあるわけで、あんまりおおっぴらに昼から呑むというのはあんまりないんじゃないかと思います。

そのあんまりないことがおおっぴらにできるのが法事のなおらいの醍醐味といって差し支えないでしょう。

わたしも昼からしこたま呑みました。べろべろになって夕方に帰ってくるわけですが、法事に出席するという「公務」をこなしてきた立場ですから、家族も「ご苦労さまです」といった感じで迎えてくれます。

その後はひたすら寝ます。いちど起きて夕飯を食べることもありますが、さすがにもう晩酌をしたいとはあんまり思いませんねえ。

こういった感じで貴重な休みがまる1日つぶれてしまうわけですが、こればかりは仕方がありません。せめて昼酒を楽しんでうさを晴らすわけです。

牛逃走

昔の出来事を書きつづっていると、次々と記憶がよみがえってくるものですね。

うちでは昔、乳牛を飼っていました。もともと祖父が飼っていて、それを叔父が引き継いでうちの隣で数頭を飼っていました。半世紀近く前とはいえ、近所で牛を飼っている家は珍しく、子どもが写生に来たりしていました。

ある日、事件は起きました。自宅の近くで遊んでいると、大きな声がしました。声がした方を見ると、白黒ぶちの巨大が動物が田んぼを走り回っていました。飼っていた牛が逃げ出したのです。

飼い主だった叔父は必死の形相で牛を追いかけました。たぶん、わたしは子どもだったので、危ないから近づかないように言われていたんだと思います。くわしい顛末は忘れてしまいましたが、なんとか牛は捕まって事なきを得たんだと思います。近所には民家もあったので、けが人が出ていたらたいへんなことになっていたことでしょう。

わたしが覚えているのは、ふだんは牛舎にいる牛がなぜか原っぱを走っている光景です。こども心になんかシュールだと思いました。

その後、牛を飼うのもやめてしまい、叔父も亡くなってしまいました。これまた遠い昔のお話でした。

明星と平凡

前回の天才バカボンに続いて半世紀近く前の話です。

幼いころ、母親の実家に行くと楽しみなことがありました。実家にはわたしより10歳くらい上のいとこのおねえちゃんがいて、「明星」と「平凡」を購読していました。それを読むのが楽しみだったのです。

若い人にはわからないかもしれませんが、「明星」と「平凡」というのは芸能人(とくにアイドル)のグラビアや記事が載っている雑誌です。現在のようにネットが発達している時代ではないので、テレビに出ている芸能人の詳しい情報というのは、こういった雑誌で入手するほかなかったのです。

うちの家庭はどちらかというと堅いほうで、母親の実家でわたしがこういった雑誌をむさぼるように読んでいるのを母親はあんまりこころよく思っていないようでした。しかし自分のめいに「こんな雑誌をうちの息子に見せるな」と言うわけにもいかないでしょうし、まあ黙認するしかなかったのだと思います。

いとこのおねえちゃんはフォーリーブスの大ファンでした。そのおねえちゃんには、当時大流行していたボウリングに連れて行ってもらいました。自宅にレコードプレーヤーもないのに、シングル盤も買ってもらった思い出があります。麻丘めぐみだったかな。

なつかしいのでググってみました。平凡はなくなってるけど、明星はいまもあるらしいですね。

天才バカボン

小さい頃、体が弱かったので医者によくかかりました。風邪ひいたりとか、扁桃腺を腫らしたりとかです。

子どもだから医者にひとりで行けるわけもないので、母親が付き添ってくれました。

待合室に行くと、私と同じような子どもがたくさんいました。ということは順番がなかなか回ってこないということです。熱っぽくてしんどいわけですが、がまんして待つほかありません。

そんなときにわたしは母親におねだりをしました。「天才バカボンが読みたい」と。

ふだんは漫画なんかはあんまり買ってもらえない家庭だったのですが、病気のときだけは特別だったのでしょう。母親が近所の本屋で単行本を買ってきてくれるのでした。

天才バカボンの連載開始から今年で50年らしいですね。ということはわたしが本を買ってもらっていたころというのは出始めのころだったのでしょう。連載のほかにアニメ版も放映されていたと思います。

わたしは50代半ば、母親も80代になりました。月日のたつのは早いなあと思い返しています。